モンブカ墓地で行われた慰霊ミサ
「移民のふるさと」への思い馳せ

グァタパラ農事文化体育協会(茂木常男会長)は16、17日の両日、サンパウロ(聖)州グァタパラ移住地の同会館で入植54周年を祝う入植祭及び収穫祭を開催し、16日には先亡者慰霊ミサと記念式典が行われた。かつての入植者をはじめ、地元や聖市などから多くの人が訪れ、「移民のふるさと」グァタパラに眠る先人たちへ思いを馳せた。(山野美桜記者)
16日午前10時からモンブカ墓地で行われた慰霊ミサには、在聖総領事館の中前隆博総領事、岩嶋健次領事、那須隆一JICAブラジル事務所所長、松尾治文協副会長、尾西貞夫援協副会長、渡辺進南米産業開発青年隊協会会長、前田進コチア青年連絡協議会会長、ブラジル新潟県人会の南雲良治会長、吉田直人サンパウロ日本人学校校長をはじめ、ノルベルト・セリー・グァタパラ副市長ら約80人が参列した。
青空の下、聖歌斉唱が行われ、同地に眠る笠戸丸移民と220人の先亡者に思いを馳せながら、参列者一人一人が「拓魂」と刻まれた慰霊碑に献花した。
午前11時頃から同文協横の屋外イベント場で行われた記念式典では、地元マーチングバンドにより日伯両国歌と市歌が演奏され、華やかな幕開けとなった。
あいさつに立った茂木会長は「グァタパラ移住地では少子高齢化問題は避けられず、人口の減少も心配させられるが、家業を継ぐ家族も徐々に増えてきているように感じ、心強く思います。次世代を担う後継者に当グァタパラ文協としても支援し、力を合わせていきたい」と今後の展望を語った。
また中前総領事はあいさつで「108年前、笠戸丸に乗って来られた最初の移住者の方々が働かれたのがここグァタパラのコーヒー農園。私どもブラジルに関わる者にとって忘れることのできない歴史」と語り、同地のさらなる発展を願った。
当日メーンステージでは、太鼓、歌、踊りなど2日間で計97の演目が行われたほか、午前5時から集まった婦人部により作られた食事コーナー、同地日本語学校の生徒による書道や絵画の展示や収穫祭が行われ、賑わいを見せた。
収穫祭では、農事部が会員家庭に種や肥料を配り、毎年この時期に合わせて各家庭で丹念に育てられたレンコンやしめじ、にんにく、らっきょう、とうもろこし、ジャブチカバのほか、卵や米などが展示され、17日には販売も行われた。農事部の大野卓治さん(34、2世)によると「昔はたくさんいた養鶏家も少なくなり、米農家も今では2家族しかいない。グァタパラは乾燥しているので、農作物を育てるには条件が悪い。農業で生計を立てる日系人はかなり少なくなってしまったけど、年に1回の収穫祭をみんな楽しみにしている」と話した。
1963年に入植し、1年半同地で過ごした久保ユキエさん(69、佐賀)と5年間過ごした山本さだ子さん(66)姉妹は聖市から4年ぶりに同地を訪れ、「元近所だった人や同船者に会ってゆっくり話ができて楽しかった。50周年の時にも来たけど、あの時は忙しそうであまり喋れなかったからね」と口を揃え、思い出話に花を咲かせていた。
茂木会長は同祭を振り返り、「入植祭は毎年賑やかになってきている。グァタパラは他に比べると1世が多いが、確実に少なくなってきている。でも、日本人のお祭りなので、なるべく日本語でやっていきたい。この伝統的な入植祭が今後も長く続くことを確信しています」と笑顔で語った。
サンパウロ新聞 2016年7月20日付
